脚本は永原秀一と蘇武路夫.監督は石田勝心.主役は山さん. シンコの登場はなし.
その日は朝から暇だった.ボスが机の上に足を乗せて新聞を読んでいた.
久美ちゃんがお茶を持って来た.殿下と長さんは将棋を指し,
ゴリさんはカツ丼を食べ,山さんは例の如く雀荘で麻雀.
そこへジーパンが戻って来た.
ジーパン「いつまで食ってるんですか,ゴリさん.」
どうやらゴリさんはジーパンが外へ出た時からずっと食べ続けていたらしい.
ちなみに何を食べていたのかというと
久美ちゃん「大盛の天丼にかけ蕎麦.それでも足りなくてカツ丼を追加したの.」
長さん「は,は.全くゴリさんの食欲には恐れ入るよ.」
やっとゴリさんは満足したらしい.
ゴリさん「これで金と暇があれば…」
ボス「天下泰平だなあ.」
ゴリさん「俺もなりたい係長.」
でジーパンがテレビをつけてみると丁度ニュースの時間.
巨額の脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕拘留された,
金融業者の堀越ゆうさく(内田朝雄)がその日の朝に一億円の保釈金を積んで,
保釈されたという.このニュースを見るため,皆テレビの前に群がった.
堀越は反省の色など全く見せず,静養と称して新宿にある東都病院に入院.
脱税額はなんと15億円で史上第二位.
不正な闇金利や土地の買占めなどで得た暴利を申告しなかったのだ.
このニュースを見たジーパンとゴリさんは,刑務所に入れちまえばいいんだ,
と怒り狂い,殿下はその脱税額を聞いて呆れかえっていた.
そしてテレビを消してまた元の状態に戻った.
さて東都病院を一人の女(北川めぐみ)がバラの花束を持って訪れていた. そこへ新聞記者などに取り囲まれて車椅子に座った堀越が現れた. 女は包丁を取り出して堀越を刺した.堀越の傷口から血が出た. すると女は花束を持ったまま屋上へ逃げ,柵を飛び越え飛び降りようとした. だが女は男達に取り押さえられ,バラの花束だけが下に落ちた.
堀越殺害未遂事件の報せが七曲署に入った.山さんも雀荘から東都病院へ直行. 山さんが東都病院に着いた時,丁度女が連行されようとしているところだった. 堀越は大袈裟に騒いだ割には傷は浅く,せいぜい全治2,3週間というところだ. その話を長さんから聞いた山さんはジーパンと一緒にパトカーに乗り, 女を連行した.だが…
取調室で.
山さん「うん.堀越には会った事がない.なぜあんなことをしたのかわからない.
そうなんですねえ.」
女「はい.」
ジーパン「冗談じゃないよ,そんないい加減な.」
山さん「落ち着け,ジーパン.」
ジーパンは机を叩いた.
山さん「でもう一度聞きます.あなたは犯行の直前,
病院の近くの丸屋という金物店で凶器の包丁を買いましたね.」
女「はあ.」
山さん「その包丁で堀越を刺した事も認めますね.」
女「はい.」
山さん「その後,あなたは自殺しようとした.
自殺は犯行の前から決めていた事ですか? それとも衝動的に…」
女は首を左右に振ってこう言った.
女「わかりません.本当に,なぜあんなことをしたのか,
自分でもよくわからないんです.」
女は泣きそうになってしまった.山さんはなぜか肯いていた.
ボスにゴリさんが報告した.いくら調べても堀越と女の関係がわからなかった.
女の名前は神谷のりこ.昭和21年10月8日生まれで27歳.
同立女子大を出た才媛で父親は土建会社を経営.
夫の神谷雅彦は中光商事の渉外課係長.
同期の中では出世頭で将来を嘱望されたエリートサラリーマンだった.
中光商事は一流中の一流だ.ボスはゴリさんに山さんも手を焼いていると話した.
犯行は素直に認めたのだが,動機がまるで判らないのだ.
そこへ神谷雅彦(長谷川哲夫)がやってきた.
出先で事件の事を聞いて飛んできたという.のりこが人を刺したとボスから聞き
神谷「そんな馬鹿な.僕は信じませんよ.兎に角,会わせて下さい.」
ゴリさんは神谷をなだめたが
神谷「会わせて下さい.お願いします.」
ボスはその事を承諾した.ゴリさんは渋ったが
ボス「何か手掛かりがつかめるかもしれんよ.」
ボスは取調室へ神谷を連れて行った.取調室に神谷が来た時,
のりこは思わず立ち上がってしまった.
神谷「のりこ,嘘だろう.お前,人を刺したなんて何かの間違いだろう?」
のりこ「あなた…」
神谷「じゃあ,本当に?」
のりこは肯いた.
神谷「なんて事を.なぜだ.(のりこの肩に手をやり)のりこ.なぜなんだ.
(両肩に手をやり)訳を言え!」
思わずジーパンが止めたほど,神谷は興奮していた.
神谷「どうしたらいいんだ.これで俺の人生は滅茶苦茶だ.」
神谷は柱を何度も何度も叩いた.それを見てのりこは泣きながら謝った.
ボスは神谷を外へ連れ出した.のりこはいつまでも泣いていた.
山さんは困り果てていた.
東都病院の特別室に入院している堀越の元を山さんは訪れていた.
堀越はベッドに寝ながら,困っているという山さんを貶していた.
こんな簡単な事件はないと言って.
山さん「神谷のりこはあなたと一面識もないと言ってるのですが,
これは本当ですか?」
堀越「向こうが知らん言うのやったら知らんのやろ.」
山さん「しかし何の理由もなしに人を刺すと言うのは考えられませんからねえ.
何か心当たりありませんか?」
堀越「わいかてあんなおなご知るかいや.こんなことではな,
うかうか表も歩かれへんわ.ほんま,法治国家の名前が泣きまっせ.」
山さん「本当に神谷のりこを知らないんですねえ?」
堀越「あんたもくどいな.知らんもんは知らんのや.」
と言った後,堀越は大袈裟に痛がって山さんを追い返した.
次に山さんは神谷の家を訪れた.近所の人がひそひそ話をするのが見えたので,
神谷は嫌な顔をした.それでも山さんは上がりこんだ.
会社の命令で神谷は事件の決着が着くまで自宅待機させられていた.
山さん「ところで,奥さんが何故あんなことをしたのか,
思い当たる事がありませんでしたか?」
神谷「ありませんね.夕べも一睡もせずにあれこれ考えたのですが,
何にもありません.」
山さん「まさか被害者の堀越から金を借りていたという事は?」
神谷「あたしはね,生まれてこのかた一度も借金したことはないんです!
もし借りるにしても,あんな奴から借りやしません!
自分の会社なり一流の会社から借りますよ.」
山さん「何かの事情で,あなたに内緒で奥さんが,
金を工面しなければならないような事が,考えられませんか?」
神谷「考えられませんね.兎に角,妻には動機らしい物は何一つありません.」
しばらく考えた後
神谷「刑事さん,妻はこれからどうなるんでしょうか?」
山さん「もう少し調べてみないと何とも言えませんな.」
神谷「いつまでも自宅待機なんて我慢できません.」
神谷はのりこを心配したのではなく,自分の出世のことを心配していたのだ.
山さんは帰る事にした.
山さんは取調室でのりこに聞いた.
山さん「洗濯と掃除を済ませてからうちを出たんですね.」
のりこ「はい.」
山さん「何時頃でした?」
のりこ「10時ちょっと過ぎだと思います.」
山さん「それで?」
のりこ「駅前にある行きつけの美容院へ行きました.」
山さん「美容院の名前は?」
のりこ「ロザンヌです.」
山さん「ロザンヌ…美容院を出たのは何時頃でしたか?」
のりこ「セットにかかる時間が45分くらいですから,
11時になってなかったと思います.」
山さん「それからどこへ行きましたか?」
のりこ「デパートです.」
山さんとジーパンはのりこを連れ,当日ののりこの足取りを追ってみる事にした.
マカロニのテーマが流れる中,デパートで.
のりこ「この階をしばらく見て歩きました.」
宝石売り場の前で
のりこ「この宝石があまりにもうつくしかったのでしばらく見て参りました.」
山さん「で,結局服も宝石もその時は買わなかったんですね?」
のりこは肯いた.喫茶店で
山さん「今は12時です.あの時も大体こんなもんでしたか?」
のりこは肯いた.
山さん「じゃ,行きますか.」
ジーパン「え? あのう,何も食わないんですか?」
山さんは嫌がるジーパン(松田優作さんのアドリブ入り)を促して出て行った.
そして坂道を歩いて上った時
のりこ「このアパート.」
それはさつき荘という名のアパートだった.
山さん「ここへ入ったんですね? このアパートの誰を訪ねたんですか?」
のりこ「わかりません.」
山さん「わからない…」
のりこ「思い出そうとしてるんですけど,このアパート,誰を訪ねたのか,
いえ,アパートに入ったかどうかすらはっきりしないんです.」
ジーパン「馬鹿な! さっきまでちゃんと覚えていたじゃないですか.」
のりこ「すいません.」
ジーパン「山さん,この人,嘘ついてます.」
のりこ「(大声で)本当です!」
ジーパンはさつき荘の中に入ろうとしたが,山さんに止められた.
山さん「未だ早い.この事件に関係した奴がいるとすれば,
そいつを警戒させるだけだ.俺達は未だ何もつかんじゃいないんだよ.」
山さんはジーパンの背中を叩いた.
山さん「で,奥さん,それからどうしましたか?」
のりこ「今来た道を通って駅へ行きました.」
山さん「駅へ着いたのは何時頃でした?」
のりこ「2時半くらいでしたでしょうか.」
山さんは時計を見た.
山さん「今が12時半.駅へ着いたのが2時半頃か.」
ジーパン「その間,アパートかどっかいたんでしょう.」
山さん「まあそうかもしれないなあ.それから電車で新宿へ戻り,
花屋でバラの花束を買い,金物屋で包丁を買ってから東都病院に向かった,
そうですね?」
のりこ「はい.」
山さん「つまりこの場所から堀越を刺して自殺しようとしてるところまでは,
覚えてるんですね?」
のりこは肯いた.
山さん「二時間の記憶喪失か.さ,署へ戻りましょう.」
で取調室で.
山さん「あの日,家を出て美容院,新宿のデパート,
例のアパートの前へ行くまで堀越を刺そうと思っていましたね?」
のりこ「いいえ.」
山さん「堀越を知っていましたか?」
のりこ「あの人が脱税で捕まったと言う事はだいぶ前に新聞で知っていました.」
山さん「しかし殺してやりたいとは思っていなかった.」
のりこは肯いた.
山さん「では花と包丁を買って病院へ向かう途中は,どんな気持ちでした?」
のりこは驚くべき事を話し始めた.
のりこ「あの時は,殺そうと思っていました.そうしなければいけないんだと.」
山さん「なぜそんな風に思ったんでしょうね?」
のりこは無言で左右に首を振った.わからなかったのだ.
山さん「堀越を刺した後,あなたは病院の屋上から身を投げようとした,
なぜなんだ.」
のりこ「死ななければいけない,と思ったんです.
それしか頭にありませんでした.」
山さんは困ってしまった.
山さん「奥さん.あのアパートに入ったのかどうか,未だ思い出せませんか?」
のりこは肯いて謝った.困った山さんは煙草を吸うしかなかった.
その夜.山さんは調査の結果を話した.
ボスも12時半から2時半までの空白が問題だと考えた.山さんは,
のりこがアパートへ行って誰かと会ったのは間違いない,と考えていた.
ボス「そいつに堀越を刺すように脅された,説得された,
あるいは暗示をかけられた.」
ゴリさんは信じられないと言っていた.例え誰かに何か言われたからと言って,
何も恨みのない男をそんなに簡単に刺せる筈がない.それを受け,
長さんは二人の間に何か関係がなければ刺せる筈がないと言い,
殿下はその関係が判ればいいがと言った.
ジーパンはあのアパートを調べるしか手がないと主張した.
その時,山さんが突飛な事を思いついていた.
山さん「もしかすると堀越でなくても良かったんじゃないかなあ.」
思わずボスは山さんの方を見た.
山さん「そいつの目的は彼女に犯罪を犯させる事.」
ボス「この山には何か裏がある.神谷雅彦と彼女の周りを洗いなおしてみよう.」
という訳でマカロニのテーマが流れる中,山さんとジーパンは聞き込みを続けた. 美容院のロザンヌでの聞き込みで,のりこが英会話を習っていた事が判明. 雅彦がアメリカへ出張するかもしれなかったからだ.
一方,長さんとゴリさんは中光商事で, 神谷の上司から出世競争が激しかった事を聞き込んでいた. 出世頭の神谷を憎む者がいたかもしれない. だが神谷を憎んでいた者はいなかったようだった. そこで長さんは神谷と親しかった者を紹介してもらった. 長さんとゴリさんは神谷の友人から,3年位前の話を聞き込んだ. 中村一夫と言う男がある事件の責任を取らされて会社を馘になったと言うのだ. 専務から直接作成するように言われていた会社のトップシークレットを, ライバルの商社に流したからだ.その頃,中村と神谷は同じ秘書課におり, 机を並べていた.二人は未来の重役を争うライバルだった. 頭の切れる事では同期の中ではずば抜けていたからだ. 中村が会社を罷める直前に同僚のある男にこう漏らしていたらしい. トップシークレットをライバルの会社に流したのは絶対に自分ではない, 神谷が自分を陥れるために仕組んだ罠に違いない,と.
さて山さんとジーパンはのりこが通っていた英会話スクールを訪れた.
のりこは4月から通っていた.その英会話スクールは個人指導になっており,
のりこの担当の講師の名前は中村一夫だった.
さらに中村の住所は「渋谷区西原 3629の8 さつき荘」だった.
つまり,あのアパートだ.
ジーパン「山さん.」
山さん「あのう,中村先生にお会いできますか?」
中村は今日は来ていなかった.この英会話スクールでは,
会員の都合のいい時間に都合のいい場所で,
授業を受けられるようになっていたのだ.
その日の中村は夜7時から会員の家で授業をする事になっていた.
山さん,ジーパン,長さん,ゴリさんから報告を聞き
ボス「中村一夫…」
と呟いた途端,電話が掛かってきた.電話は殿下からの物.
中光商事を馘になった中村と英会話スクールの講師の中村は同一人物だったのだ.
中村は英会話スクールに勤める前に自動車のセールスマンをしていたが,
そこへ出した履歴書には「中光商事退社」と書かれていた.
それをボスから知らされたゴリさんは
ゴリさん「中村には動機があります.
彼女を何らかの方法でそそのかして堀越を刺させ,憎い神谷雅彦に復讐を図った.
このスキャンダルは神谷を今の出世コースから確実に外せますからね.」
長さんは証拠がないと反論.ボスも推理だけで証拠がないと長さんの意見に同意.
その時,山さんが外へ出ようとした.行先を尋ねたジーパンに山さんが答えた.
山さん「証拠を見つけ出すんだ.」
ジーパン「しかし,何処へ? (小声でボスに)俺も行って来ます.」
山さんの行先は取調室だった.
山さん「中村一夫と言う男を知ってますね?」
のりこ「中村一夫…はい.英会話の先生です.」
山さん「彼とはどこで知り合ったんです?」
のりこ「英会話のレッスンをしてみないかと言って,
あの方が私のうちを尋ねてきたんです.」
山さんとジーパンはお互いを見合った.
のりこ「主人が近いうちにアメリカへ出張するかもしれない,
という話を聞いておりましたので,この機会に英会話を習っておこうと思って.」
山さん「(ジーパンに)なるほど.中村の方から誘ってきたんだな.」
のりこ「は?」
山さん「いやいや別に.ところで奥さん,
中村のアパートを訪ねた事はありますか?」
のりこは首をひねっていた.
いらいらした山さんはボールペンで机を何度も叩いた.
山さん「どうなんです.」
のりこ「レッスンはいつもスクールの教室で行ないまして,
伺った事はないと思います.」
ジーパンは頭をかいた.山さんはなおもボールペンで机を叩いていた.
山さん「彼のアパートがどこにあるかも知りませんか.」
のりこは山さんがボールペンを叩く音を聞き,なぜか目を閉じて眠り始めた.
山さん「奥さん,昨日,あなたが我々を連れて行ったところが,
中村のアパートなんですよ…どうしたんですか?」
山さんとジーパンはお互いを見合った.のりこの異状に気がついたのだ.
山さん「奥さん.」
ジーパンはのりこに近づいて覗き込んだ.
ジーパン「病気ですか?」
山さんは無言だ.
ジーパン「奥さん.(のりこの肩を揺すって)奥さん.奥さん.」
山さん「よせ,ジーパン.もしかすると催眠術.」
ジーパン「え?」
山さん「そうだ.催眠術なら二時間の空白の謎が解ける.」
ジーパン「だから一体何…」
山さん「黙っててくれ.」
山さんはボールペンで机を叩きながら言った.
山さん「さあ,奥さん.もう目覚めても結構ですよ.」
何とのりこは目を開けた.
山さん「奥さん,あなたは催眠術に掛かった事がありますか?」
のりこ「いいえ.ございません.」
山さんは腑に落ちない顔だった.
山さんは「催眠誘導法」と言う本を一生懸命読んだ.翌朝,皆に説明した.
山さん「突飛な発想かもしれんが,まあ私の仮説はこういう事だ.
神谷のり子は犯行当時は中村一夫に催眠術を掛けられていて,
奴の言うままに堀越を刺した.
もしかすると中村に死ねと言われていたかもしれん.こう考えると,
彼女の一連の不可解な行動と供述が説明つくと思うんだがねえ.」
ボス「山さん,続けてくれ.」
山さん「彼女の事件に関する記憶は失われていますが,
その他の記憶は全く正常です.と言う事はつまり,
犯行について思い出さない物に,催眠暗示を掛けられていたのでは,
ないでしょうか.いや実は夕べ一夜漬けで催眠術の本を読んだだけの知識で,
こんなことを言うのはなんですが,この事件を解く鍵は催眠術だと思うんです.」
ボス「なるほど.じゃ,それが事実だとしたら,この先どうしたらいい.」
山さん「我々じゃどうしようもありませんな.
とりあえず精神医学の専門家に依頼して,
神谷のりこを診断してもらってはどうでしょう.」
ボス「ようし,やってみよう.」
そして医者による神谷のりこの診断が始められた.
山さんとジーパンが同席していた.
催眠状態に入る前ののりこは催眠術に掛かったことはないと答えたが,
催眠状態に入ると
医者「あなたは催眠術に掛かったことはありますか?」
のりこ「はい.」
医者「それはいつ頃ですか?」
のりこ「最初は今年の春頃です.」
医者「これまでに何度ぐらい?」
のりこ「5回か6回.」
医者「誰に掛けられましたか?」
のりこ「それは…」
のりこは首を左右に振った.
医者「その場所は何処ですか?」
のりこはまた首を左右に振った.
医者「確かに彼女は催眠術による暗示を掛けられてますね.相当強い暗示です.
催眠技術に長けた人間に違いありません.でなければ,
これほど完全に記憶の抑圧は行なえませんから.」
山さん「そいつが誰かを知りたいんですがねえ.」
その頃,ボスは考え込んでいた.久美ちゃんはボスの方に目が行ってしまい,
躓いてお茶をこぼしてしまった.一方
医者「あなたは今,堀越を刺す決心をするために,あるアパートに,
ある男と一緒にいます.」
のりこは首を左右に振るばかり.
医者「あなたはアパートの住所も男が誰であるかも言いたくない.
よろしい.言わなくてもいいですよ.」
なおものりこは首を左右に振っていた.
医者「言ってもいい事を聞きましょう.
その部屋の中に何か目立つ物はありますか?
よーく見て,安心して教えてください.」
のりこは言った.
のりこ「ヨット.丸いスピーカーが二つ.」
山さんとジーパンはさつき荘へ行き,中村一夫の部屋へ行った.
その際,ジーパンは階段の手すりの針金に手を引っ掛け,
手を傷つけてしまった.中村(富川よし夫)に山さんは,
のりこの事を聞きたいと言い,部屋にあがった.ヨットのパネル写真,
二つの丸いスピーカーがあった.それを確認してから
山さん「中村さんは神谷のりこさんに英会話を教えていたそうですねえ.」
中村「ええ.」
山さん「事件の日の12時半から2時半頃,神谷さん,ここへ来ませんでしたか?」
ジーパンはスピーカーに手をやった.
中村「いいえ.」
山さん「レッスンはいつもどこでやられてました?」
中村「スクールの教室です.」
山さん「この部屋ではやらなかったんですか?」
中村「ええ.」
山さん「一度も?」
中村「一度もありません.あたしは,他の人は知りませんが,
仕事を自分の部屋まで持ち込むのが嫌なんです.
ですから,神谷さんはこのアパートを知りませんよ.」
山さん「ふーん.」
中村「しかし,警察の方がどうしてあたしの事をお聞きになるんですか?」
山さん「神谷さんを調べてるんですが,なぜあんなことをしたのか,
動機がもう一つはっきりしないんですよ.それで神谷さんと関わりのあった方に,
こうやって話を伺っているんですが.」
中村「ああ.」
山さんはのりこに言った.
山さん「あなたは催眠術を掛けられて堀越を殺そうとしたんです.」
のりこ「まさかそんな事,あたしには信じられません.」
山さん「あたしも最初は信じられなかった.しかし,これは事実です.
我々は松沢博士にお願いしてあなたに逆催眠を掛けてもらいました.
その結果,あなたは犯人の手掛かりとなることを思い出してくれました.
丸いスピーカーが二つとヨットと言う言葉です.」
のりこ「そんなこと言ったんですか?」
山さん「はっきり言いました.
我々はさっきある男の部屋を調べに行って来ましたが,
天井からステレオの丸いスピーカーが二つ下がっていて,
壁にはヨットハーバーのパネル写真が飾ってありました.」
のりこ「ある男といいますと?」
山さん「中村一夫です.」
それを聞いたのりこは驚いた.
のりこ「中村先生が? でも一体何故,何であたくしを?」
山さん「あることで中村はあなたのご主人を大変に恨んでいます.
それで奴はあなたを利用してご主人を追い詰めようとしています.」
のりこは絶句した.ジーパンは手の傷を見て
ジーパン「また血が出てきたなあ.」
血を見たのりこは突然立ち上がって外へ出た.
慌てて山さんとジーパンが追いかけた.のりこは階段を上がって屋上へ行き,
飛び降りようとした.ジーパンが引き止めなければ,
のりこは飛び降りて転落死していただろう.
のりこは松沢に鎮静剤を打たれて眠っていた.一係室で一同は話を聞いた.
山さん「いや全く不思議ですなあ.彼女は堀越を刺した時と同様に,
屋上から飛び降りようとした.」
松沢「ええ.キーワードじゃないですかねえ.」
山さん「キーワード?」
松沢「ええ.何か簡単な暗号のようなキーワードを与えておいて,
それを見るなり聞くなりすると彼女が死のうとするように,
暗示を掛けておいたんでしょう.熟練した催眠術師なら可能です.
そうだとするとキーワードが判れば彼女を自殺から解放することが出来るし,
今思い出せない二時間の記憶を呼び起こすことができるでしょう.」
山さんは肯いた.
山さん「応接室と堀越を刺した時と,彼女が見たり聞いたりした物の中に,
同じ物があった.それがキーワードと言うことになりますか?」
松沢「そう,そう,そのとおりです.」
山さん「なるほどね.あの時,彼女と中村の事を話していた.中村の部屋,
ヨット,スピーカー…おい,ジーパン.何か思い当たらんか.」
ジーパン「俺は黙ってただ山さんの取調べを聞いてただけですよ.」
山さん「この部屋には何もなかったし特別な言葉も使わなかった.
どうも思い当たらんなあ.」
ジーパン「そういえば,あん時,
絆創膏をはがしたら血が出たん…関係ないですよね.」
山さんは気がついた.
山さん「血だ.彼女が堀越を刺した時も,血を見て死のうとしたんだ.」
山さんは立ち上がった.
そしてまたのりこに逆催眠が掛けられた.
松沢「あなたにはもう恐い物はありません.例え血を見ても怖がったりはしない.
いいですね.血を見ても死のうとはしない.さ,ご自分で言って御覧なさい.」
のりこ「私は血を見ても死にません.」
松沢「そうです.では先へ進みましょう.
あなたは中村一夫に催眠術を掛けられましたね?」
のりこ「はい.」
山さんとジーパンはお互いを見合った.
松沢「最初はどのようにして掛けられたんですか?」
のりこ「最初は英会話スクールの個室でした.
私は頭痛持ちで悩まされていたので,その事を言いました.
それであの人は催眠術で治してあげると言ったんです.」
松沢「最後に掛けられたのはいつですか?」
のりこ「病院へ向かう直前でした.」
松沢「そのときの様子を詳しく話してください.」
のりこ「中村さんは脱税した堀越について随分悪口を言いました.
私もそうだと思いました.そして中村さんは…」
ボールペンで机を叩き
中村「あなたは堀越を殺すんだ.みんなのためなんだ.」
のりこ「殺すわ.」
中村「それから,あなたは堀越の血を見ると,すぐに死にたくなる.
死にたくなるんだ.」
のりこ「血を見たら,私は死ぬ.」
中村「そう.そうです.建物の屋上へ来たら,そして,あなたは,
そこから飛び降りる.飛び降りるんだ.」
ここまでのりこは話した.
松沢「堀越を殺せ.そして堀越を見たら屋上から飛び降りて死ぬ.
中村はそう言ったんですね,あなたに.」
のりこ「はい.」
ジーパンはいらいらしていた.
ジーパン「うまく行くかなあ.敵もさるもんですからねえ.
(山さんと目があって)すいません.」
そのとき電話が.
ボス「はい,一係.あ,ゴリか.」
のりこが無事入院したと言うのだ.山さんは中村のところへ行き,こう言った.
山さん「どうも彼女に曖昧なところがありましてねえ.」
中村「曖昧?」
山さん「ええ.」
中村「あの事件は片付いたんじゃなかったんですか.」
山さん「ええ.ま,半分片付いたようなもんなんですが,
犯行当日の彼女の足取りがもう一つはっきりしないんですなあ.
病院へいく前にこの辺りへ寄ったとか寄らなかったとか…」
中村「うちへ寄ったって言うんですか?」
山さん「その辺ところが曖昧なんですなあ.」
中村「しかし,こないだも話しましたが,
彼女は私のアパートを知らないはずですよ.」
山さん「ええ.ええ,ええ.そうでしたね.精神状態が不安定なんですなあ.
で今,警察病院に入院して専門家の精神鑑定を受けています.」
中村「病院に?」
山さん「530号室です.もし暇があったら見舞ってやってください.
とみに人に会いたがってるんですよ.」
中村「そうですか.」
山さん「ま,もう少し落ち着けば,足取りもはっきり思い出すんでしょうがねえ.
いや,どうもお引止めして申し訳ございませんでした.
私はもう少しその辺を歩いて見ますんで.」
これに引っ掛かった中村は果物を持って病室を訪れた.
病室にはゴリさんがいた.そしてゴリさんは暑いと言って窓を開け,
わざとそっぽを向いた.中村は果物をナイフでむこうとした.
そしてナイフで手を傷つけ,手のひらの血をのりこに見せた.
だがのり子は無反応だった.躍起になって中村は手のひらを見せた.
だがのりこは無反応だった.遂に
中村「神谷さん.」
ゴリさんは中村を取り押さえた.そこへ山さんが入ってきた.
山さん「中村.無駄なことはよせ.奥さんはもう血を見ても自殺などはしない!
お前のたった一つの誤算は奥さんが自殺に失敗したことだ.
だからお前はもう一度血を見せて自殺をさせたかったんだろうが,
奥さんにはもうお前の催眠術は効かんのだ.」
ジーパン,ボス,そして神谷が入ってきた.殿下と長さんも一緒だ.
神谷「中村,確かに三年前,お前を陥れて会社を辞めさせたのは,この僕だよ.」
のりこは驚いた.
神谷「しかし復讐するんなら,のりこを利用などせずに,
直接僕にすべきだったんだ.」
それを聞いた中村は暴れようとした.
中村「小ぎれいなことぬかすんじゃないよ,神谷.格好つけるんじゃねえよ.
お前の汚いやり口にこっちも汚いやり口で復讐しただけのことじゃないか.
今自宅待機なんだろう.え.そのうち旨く行って子会社に飛ばされるか,
大方強制依願退職だろう.一身上の都合によりって奴.嫌な顔するなよ,神谷.
依願退職結構じゃないか,ありがたく思えよ.俺はなんだったと思う.
俺は懲戒免職だよ.しかも身に覚えのない懲戒免職だったんだぜ.
俺の気持ちが判るか,神谷.」
ボス「連れてけ.」
だが
中村「もう一言言わせてくれ.神谷,俺とお前と,俺とお前と,
本当はどっちが本当の犯人なのか,奥さんによーく聞いてみるんだな.」
中村のやった事は確かに汚い.だが中村の言う事も一理ある.
中村は高笑いして去って行った.のりこは泣いた.神谷はこう言った.
神谷「おかげ様で妻の潔白が証明されました.ありがとうございました.
私は早速このことを会社に…」
この事件が起こった真の理由が自分にもあり,
さらに妻ののりこにも被害が及んだにも関らず,
自分の身の安全だけを考えてこう言った神谷に,山さんの怒りが爆発した.
山さん「神谷さん.奥さんの傍にいてあげなさい.」
そして山さんは扉を閉めて外へ出た.
ボス「なあ山さん,気入れすぎるとしんどいぞ,この商売.行こうか.」
最後はジーパンがボスに催眠術ごっこ.飯をおごらせようとした.その結果.
ボス「さあ,飯でも食いに行こうか.」
山さんは仏頂面だった.山さん以外の面々は大喜び.
ボス「ただしお前ら割勘だぞ!」
ジーパンは皆に八つ当たりされ,山さんも頬笑むのであった.
次回,遂にジーパンが拳銃を手にします.ボスの言葉と,ある事件がきっかけで.
「2002年3月」へ 「テレビ鑑賞記」へ 「私の好きなテレビ番組」へ 「touheiのホームページ」へ戻る.