第十六回

金持ち令嬢誘拐殺害事件の裏に隠された真実に迫る
虚栄の女

脚本:松田寛夫 監督:湯浅憲明

草刈の友人田所和彦(内藤武敏)はテニスクラブで目眩いを起こし, 病院へ運ばれた.草刈と田所の後妻久美(赤座美代子)は医者から, 田所が悪性の胃癌にかかっており,既に手遅れだと言う事を聞かされた. 直ちに田所は入院する事になった.草刈達は胃癌の件を田所には伏せる事にした. 田所の娘優子(中津川みなみ)と久美は仲が悪かった. 久美が草刈と一緒に出て行った後,田所は言った.
田所「優子.どうしてあんな棘のある言い方をする.仮にも私の妻だ. と言う事は,お前にとってもたとえ義理であっても母と言う事になるんだよ.」
優子「私のお母様は死んだわ.」
田所「優子…頼む,優子.あれと仲良くしてくれんと私は困るんだ.」

外では草刈が,優子にもおりを見て田所の病状を伝えた方がいいと言っていた. そして草刈は何かあったら連絡するようにと久美に言った.

田所久美から草刈に連絡が入ったのはそれから数週間後の事である. 優子が誘拐されたと言うのだ.直ちに草刈は田所の病室に駆けつけた.
田所「(久美に)君は何て事してくれたんだ.あれほど, あれほど警察には報せるなと言っといたのに.」
草刈「田所君.奥さんは警察に報せたんじゃない.」
田所「じゃあ,君は何しに?」
草刈「友人としてだよ,君の.だから俺の言う事を落ち着いて聞いてくれ. 誘拐事件と言う物は,犯人の言いなりに身代金を払ったからと言って, 人質が約束通り無事に返されるとは限らない.いや, むしろ逆の場合の方が多いんだ.」
田所は驚いて草刈の方を見た.
草刈「警察に任せてくれ.」
田所「任せたら,優子を100%取り戻してくれるのか?」
草刈「全力は尽くす.そしてこうした場合, やはり警察に任せてもらう事が最善だと私は確信してる.」
その時,電話が鳴った.電話は犯人からの物だった.犯人は優子の声を聞かせ, さらに3千万円が用意できているかどうかを確認した. そして新宿駅西口地下広場6番出口の近くで久美に一人で持たせ, 3時から4時までの間に行くように言い,電話を切った. 犯人は警察に報せたら優子の命はないとも言っていた.
田所「君には関係ない.帰ってくれ.帰れ!」

廊下に出た久美は草刈と同意見で,何とか手を打ってくれないか, と草刈に頼んだ.だが
草刈「残念ですが,事件が事件です. 田所君がその気になって正式に告訴してくれない限り, 私としては動きようがないんです.」
久美「でしょうが,非公式なら.例えば,草刈さん個人の立場ででも.」
草刈「奥さん.身代金を受け取りに現れた犯人を私かに尾行し, 隠れ家を突き止め,人質を奪い返す. それだけの事を私一人だけでやってのけるのは不可能ですよ. こういう仕事には熟練した刑事の水も漏らさぬチームワークが必要なんだ.」
久美はなおも食い下がった.
久美「でも,優子ちゃんを無事に救い出す方法がそれしかないとしたら. お願いします.人手が必要なら,雇わせてください. お金ならあたくしが何としてでも工面いたします. 3時まであといくらもありません.主人を説得してたんじゃ,何もかも手遅れに.」
草刈は頷いた.

病室に戻った久美は,草刈は何も聞かなかった事にして帰ってもらった, と田所に言った.身代金を持って行くという久美に,田所は何度も何度も, 頼むよ,と言うのであった.

さて草刈と久美はチャンピオンに現れていた. 有光達を捜査に使おうというのだ.久美が小切手にサインする間
草刈「尾行,そして人質の隠し場所.安否の確認.そこまでやってくれれば, 後は私が正式に警察を動かして処理する. くれぐれも犯人には張り込みを気づかれんように.人質の命がかかってるんだ.」
有光「はあ.その点なら大丈夫です.いや,どうせ彼らは, どうやったって堅気の刑事だって面構えじゃないですから. アベックでいた方が目立たない.あきちゃん,頼むよ.」
矢野と明子は快諾した.
有光「それから,念押しするまでもないが,尾行は適当に交替した方がいい. 同じ人間が長時間続けて行くと感づかれる恐れがある.」
大沼は何度も何度も頷いた.大金が入る仕事とあって乗り気だったのだ.

そして2時41分頃.新宿駅西口地下広場で.
有光「課長の指揮で張りこみに当たるなんて何年かぶりですかねえ. 二度とない事だと思ってましたよ.」
さて大沼は
大沼「百万か.悪くねえな.」
そして
明子「でも,どこにいるのかしら,有光さん.」
矢野「プロ中のプロだ.俺達ど素人がそれと見破るような具合には, 張り込んじゃいないよ.」
明子「それもそうね.」
そこへ久美が登場.指定された6番出口で待ち続けた.凝と張りこむ草刈, そして事件屋一同.ちなみに今回は佐竹の姿はなし.3時になった. 有光はオートバイを乗り回していた.

田所は病室でまんじりとしていなかった.

犯人らしき人物はなかなか現れなかった.車が久美の前で駐まったが, ただの冷やかしだった.次に中年の男が現れたが,道を聞いただけだった. 有光のところに子供がやってきて,「これお兄ちゃんの車?」と聞いて行った. ふと見ると久美の姿がない.だが久美はお婆さんに道を聞かれていただけだった. こうして4時になり,4時5分になったが犯人らしき人物は現れなかった.

その夜.田所の病室に久美が戻ってきた.
田所「優子はどうした?」
久美「8時まで待ちました.でも誰も…」
田所「身代金をとりに来なかったと言うのか?」
久美は頷いた.
田所「草刈と諜し合わて?」
久美「いいえ. 草刈さんはあたくしからもはっきりお断りしたと申し上げた筈ですわ.」
田所「じゃあ,なぜ,金をとりに?」
久美「万一の場合を考えて犯人の方で用心したんでしょう.多分, 改めて連絡してくる.」
その時,電話が鳴った.久美が電話を取った.久美を凝と見る田所. 電話の声を聞き,驚く久美.田所は久美と電話を代わった.その内容は
犯人「田所か.あれほど言っといたのにサツなんか張りこませやがって. お前さんを…」
田所「待ってくれ.三千万,いや,一億でも二億でも金は君の言いなりに払う. 誓って警察には指一本出させん.頼む.その代わり,優子は,優子だけは…」
犯人は一方的に電話を切ってしまった. 絶望した田所は受話器を落としてしまった. そして田所は久美を睨みつけて言った.
田所「出てってくれ.君の顔など二度と見たくない.」

そして優子の死体が発見された.何度も「優子」と叫び号泣する田所. 田所は草刈を見ると無言で去って行った.

矢野「くっそう!」
怒り狂った矢野は100万円の小切手を破り捨ててしまった. 大沼が「何すんだよ」と言った時は後の祭.
矢野「もらうわけにはいかないんだよ. 俺達のヘマで人間一人殺されちまったんだぜ.」
有光は無言だった.

田所「君が草刈の紹介で雇ったとか言う,確か有光と言った.」
久美は頷いた.
田所「会いたい.呼んでくれ.」
久美「はい.」
久美は立ち上がって出ようとしたが
田所「それから,君も今夜からここへ泊り込んでくれなくてもいい. 必要になったら呼ぶから.」
久美は声も出なかった.
田所「しばらくの間,一人でいたいんだ.気持ちの整理をする為に.」
久美は黙って出て行った.

呼び出しを受け,有光が田所の病室にやって来た.面会禁止の札を見て, 一瞬有光はノックを躊躇したが,結局ノックして入った.
田所「有光君.」
有光「は.」
田所は黙って優子と自分が一緒に写っている写真を差し出した.
田所「母親が病弱でねえ.この娘が二つになったばかりの時に死んでしまった. それ以来15になるまで,13年の間,男で一つでこの私が育てた. そのせいだか我儘いっぱいで,とりわけ今の家内にはつっかかってばかり. 最近では私を困らせてばかりで,どうしようもない娘だった.」
感極まって田所は泣き出してしまった.
田所「犯人を,優子を殺した奴を突き止めてもらいたい.」
有光「事件は既に単純な誘拐じゃない. 殺人となると警察も全力を挙げて動き出してます. 任せておかれてはどうでしょう.」
田所「君,君の手で犯人を捕らえて欲しい.」
有光「使わなくていい金を使う事になりますよ.」
田所「金ならいくら使ってもかまわん!」
有光は何も言わなかった.
田所「私は今,銀座に一流の画廊を一つ,他に貸しビルを二箇所持ってる. 財産はおそらく50億をくだらないだろう.それほどの物を40代中半ばまでに, 親の遺産と言う多少の元手はあったにせよ,私は築いた. 金儲けのためには汚い手も使ったし,敵も大勢作った. それほどまでにして貯めた金だが…優子は死んでしまった.」
田所は小切手にサインをしながら言った.
田所「金額は…君が好きなだけ…いれてくれたまえ.」
有光「ちょっと待ってください.」
思わず田所は手を止めた.
有光「私がどんな人間だかご存知なんですか?」
田所は頷いた.
有光「同僚を殺した悪徳刑事崩れ.そして, 今は金のためだったらどんな事でもする事件屋稼業です.」
田所「そんな男が,要らん金を使うな,警察に任せておけ,と勧めるかい. わかってくれるね.もはや私はこの娘にしてやれる事は金を出す事だけだ. 出来る事なら私は犯人を捕まえて殺してやりたい.だから私の金で.」
有光は小切手を受け取った.
有光「捜査の必要上,奥さんの協力を願う事になりますが.」
田所「話を訊くだけかい?」
有光「ええ.」
田所「ならいいだろう.だができるだけそっとしておいてやってくれ. あれなりに良かれと思ってした事なんだろうが, 私も自分の気持ちがどうにもならなくて,酷い事言ってしまった.」
有光「その事でしたら,むしろ張り込みを見破られた私達の…」
田所「いや,君を責めるつもりはない. 家内は当分マンションの方に引きこもっている筈だ.場所は知ってるね?」
有光「はあ.」

その足で有光は警視庁を訪れた.
草刈「そうか.田所が君に事件を依頼したのか.引き受けたんだろうね?」
有光「ええ.」
草刈「で,事件の目処はついているのか?」
有光「いえ,全然.」
草刈「君らしいな.」
そういいながら草刈は小切手を有光に返した.
草刈「田所とは中学時代からの友達でねえ, 性格も社会に出てからのコースもまるで違うんだが,年に一度か二度, 何となく会って酒を飲みたくなる友達だ.私にとって田所はそんな男なんだ. それが例の妻君に突然呼ばれてね,おそらくは半年も持つまいと言われたんだよ, 医者に.そして今度の事件だ.」
有光「は.お役に立てれば.」
草刈「いや,いいんだ.兎に角私にとっては, あまりにも個人的に深く関わり過ぎてる.君にやってもらった方が, 私はかえってありがたい.」

続いて有光は久美を訪ねに行った.そして次の事を訊き出した. 優子が今は久美が住んでいるマンションに一人で住んでいた. 少なくとも一日に一回は優子が病院に顔を出していた. そしてさらわれた四日前に限って電話一つもかけてこられなかった. おかしいと思った久美がその事を田所に相談したが, 取り越し苦労だと笑われた事. 若い娘だから一日くらい遊びほうける事くらいあるだろうと. 最初の脅迫電話がかかってきたのは三日前の夕方だった.犯人に脅迫され, 田所は優子が殺されると思い込んでいた.そのため, 三日前の時点では草刈に報せなかったのだ.そしてその通りになった.
有光「しかし変だなあ.あっさりと人質を殺してしまったって事ですよ. 身代金が目的の誘拐だったら,もう少し粘っても良さそうな物だが, 変だと思いませんか.奥さんも.」

チャンピオンでは大沼が大喜び.小切手に金額を勝手に書き込んでいいからだ.
矢野「沼さんよ,にたにたするのは不謹慎だぜ.一人の人間が殺されたんだ. 先ず事件を解決してからだよ,頂くのは.」
大沼「わかってま,わかってま.有光さん,まずどっから手つける?」
有光は大沼から小切手を奪ってから言った.
有光「俺の勘なんだが,先ず被害者の顔見知りの男関係だな. 東都学園を洗って欲しい.それから, グループが行きつけのスナックとか喫茶店も.女の子の父親は億万長者なんで, 変な気を起こしかねない野郎がいそうな気がする.」
大沼と矢野は頷いた.有光の狙いはそこだけではなかった.
有光「あきちゃん,テニスを習いに行ってもらえませんか?」

というわけで明子は冒頭のテニスクラブに入った. 矢野と大沼は大学関係を聞き込み. 明子はテニスコーチの安岡次郎(力石孝)に口説かれていた. さて大沼と矢野の収穫はゼロ.チャンピオンで大沼がぼやいているところへ, 明子が帰ってきた.
矢野「どうだった?」
明子「それがね,気になる人がいたのよ.」

早速有光は安岡に接触した.安岡はトランポリンの腕を自慢していた. 有光は諸肌を脱ぎ,トランポリンで勝負する事にした. 一回目はジャンプに失敗していた有光だったが, 何度かやるうちに安岡以上の腕を見せるようになった. 前方宙返りはお手の物.宙返りしてさらに体を反転する技も見せた. 安岡は逃げようとしたが,有光が腕をつかんでこう言った.
有光「わかったかい.本物のプロはな,貴様のように女をたらしこむ為の, 見せ掛けの筋肉とは鍛え方が違うんだ.」
安岡「何の事だ.」
有光「とぼけるな.テニスのコーチが聞いて呆れるぜ. 教える振りして金持ちの奥様族を引っ掛け,銭貰って夜の相手をつとめる. 貴様のような男が女から貰う小遣い銭に飽き足らなくなると, 一攫千金を夢見て誘拐もやらかす.」
図星だったのか,安岡は口ごもってからこう言った.
安岡「大した想像力だな.」
有光「ああ.その想像力とやらで飯を食ってるんでなあ.」
安岡「三文小説でも書いてろよ.」
安岡は立ち去った.

チャンピオンに有光が戻ると久美が来ていた. 手がかりがつかめたかと思って来たのだと言う.
有光「手がかりだけじゃない.犯人の見当はもうついてますよ. お嬢さんが通ってらしたテニスクラブのコーチの安岡と言う男ですよ.」
有光は久美を鋭い目で睨みつけた.
有光「ご存知の男でしょう?」
なぜか久美は動揺していた.
久美「ええ.でも,信じられませんわ,あの方が.」
有光「九分九厘,間違いないです.」
久美「じゃあ,はっきりした証拠でも?」
有光「いえ.でも二,三日揺さぶりを掛けて様子を見た上で, 場合によってはひっさらってでも拷問して洗いざらい吐かしてみせます.」
有光は久美の方を見てさらにこう言った.
有光「私達は警察じゃあないんでねえ.どんな手だって使うんですよ. 相手が相手だから.」
そこへ大沼と矢野が戻ってきた.
大沼「あんたの狙い,確かだよ.安岡の周り,デカ,うろつき始めましたぜ. なあ,矢野.」
矢野「ああ.」
久美は顔が真っ青になっていた.そして出て行った.

その夜.安岡はホテルで何者かに刺し殺された.
安岡「お前は…」
それが安岡の最後の言葉だった.

翌朝.安岡が殺されたという記事を見て
矢野「どういう事だ,こりゃ.」

有光は久美の元を訪れた.
有光「あなた,お嬢さんさえ始末すれば, あと少ししか生きる事の出来無いご主人の数十億と言う財産を一人占めできる, と考えた.ただストレートに殺せば,あなた自身に疑惑のかかる恐れがある. そこであなた,誘拐事件と見せかけてお嬢さんを殺す計画を立てた. 安岡をどうやって引きずりこんだんです? ふ.訊くのが野暮ですか.おそらく, 色と欲の両方でしょう.兎に角安岡はあなたの言いなりにお嬢さんを誘惑. お嬢さんとしちゃ,毛色の変わったボーイフレンドと, 秘かにデートを楽しむつもりだった. あいつには若い娘を一人で殺して埋めるくらい,簡単な事だ. そして作り声で脅迫の電話をする.後はあなたの一人芝居だ. すっかり誘拐事件と決め込んでいた我々は, 金をとりに来るはずのない犯人を待って,馬鹿みたいに張り込みまでした. 完璧でしたねえ,そこまでは.」
久美はにやりと笑った.そしてタバコに火をつけた.
有光「ただ,あなたは一つだけ致命的なミスをやらかした. 少なくともあと二,三回は身代金を強請るべきだった. 安岡の不手際で意外に早く優子さんの死体が発見されたが, そんな彼に不安を感じたあなたは安岡を殺害してしまった.」
久美「面白いお話だわ.でも証拠があって? 証拠がなければ…」
有光「確かに今あなたを法律で罰する事はできない.しかし, あなたは一つ重大な事を忘れてる.それは今現在, あなたのご主人である田所氏が生きてるって事だ. もし私があなたの事を洗いざらい喋ってしまえば,あなたは離縁され, また三流モデルに逆戻りになる.それでもいいんですか?」
久美「どうしろと仰るの?」
有光「さあ.そいつは奥さんの方で考えて頂きましょう.」
久美はしばらく黙っていた.有光は凝と久美を見つめた.そして久美は服を脱ぎ, 全裸になった.
有光「奥さん,勘違いしちゃ困るなあ.俺,女には不自由してない. 欲しいのはゲンナマだ!」
久美「勿論,遺産の50億の半分はあなたの物よ.25億.ヨーロッパででも, どこででも使いきれない金額のはずだわ.」
有光はにやりと笑った.
久美「それでも未だ不足?」
有光「亭主が死にゃあ,遺産の三分の一,20億近い金が転がり込んでた筈だ. なのになぜ,義理の娘を殺すようなやばい橋をわたった? 50億全部欲しかったからじゃないのか!」
久美は笑った.
久美「それもあるけど,あの小娘があたしと安岡の関係を嗅ぎつけたのよ. あの娘を殺さなければ,あたしの方が夫を裏切った女として, 無一文でここを放り出されてたわ.」
有光はブランデーを飲み干すと立ち上がり,にやりと笑って言った.
有光「とうとう白状したなあ.」
有光は懐からテープレコーダーを取り出した. 久美は口をあんぐり開けてしまった.録音されていたのだ. 有光は久美をぶん殴って言った.
有光「さあ,支度しろ.貴様のような女にふさわしい所にぶち込んでやる. ダイヤも宝石も永遠におさらばって所だ.」
とその時,草刈がタクシーで駆けつけた.有光は草刈にテープを聞かせた. 草刈は有光の肩を叩き,久美に言った.
草刈「田所君が危篤なんですよ.しかも奥さん,あなたの名を呼んでる. せいぜい持って四,五日と言うところらしい.せめてその間,貞淑な妻として, 彼に.私は死に掛けてる友人に,妻であるあなたが遺産目当てに娘を殺させた, とても言えないんです.」

病室で田所は言った.
田所「二度と来てくれないなんて,酷い事言ってしまった.済まない. 君には謝る.今日からまた以前のように看病してくれるね?」
久美の顔は青ざめていた.
田所「どうした? 顔色が良くないよ.君には随分苦労掛けたからなあ. 治ったら二人でヨーロッパにでも旅行に行くか? 優子の事は忘れるのは無理としても,何とか乗り越えられると思うよ. 君と一緒なら.」
久美は動揺していた.廊下では有光がタバコを吸っていた.
田所「それはそうと,あの男はどうしてる? 何も言ってこない.」
久美は何も言えなかった.
草刈「有光の事だね?」
田所「知ってたのか?」
草刈「うん.奥さんに聞いた.」
田所「君を蔑ろにするつもりはなかった.優子を殺した奴が憎かった.」
それを聞いた久美はますます動揺した.
草刈「わかってるよ.それにあの男はなかなか良くやってる. 犯人の逮捕も時間の問題だろう.勿論,その時は,いの一番に君に報せる. この俺がね.」
草刈は田所の手を握ってやった.死んで行く男にもまして,この瞬間, 裏切った女も地獄であった.しかもその地獄の後に, さらに虚栄の女にとって何よりも堪え難い, 灰色の刑務所暮らしが待っているのだった.有光は小切手を破り捨て, 去って行った.久美を連れて出た草刈は,破かれていた小切手を見て言った.
草刈「奥さん,あなたにはあいつの気持ちなんかわからんでしょうなあ.」

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