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2011年11月8日

WCJ2010 Tech Talk - MediaWiki Developers へ行って来たよ

久しぶりの更新ですが、これにはわけがあります。http://twitter.com/tsukamoto/status/1199446683549697にあるとおり、

木津尚子「関西で一度限りではもったいないということで、東京のメンバや会場提供のIIJ様のご協力で、東京でも開催できました。ということで、感謝の印として、参加者はぜひ褒めなくていいからブログやツイートを!また他にもイベントが予定されていますので、今後もご参加ください」
と呼びかけられたからです。 まあ、散々 tweet したから義理は果たしたようなものですが、 一応書いておきましょう。ただ、技術的側面の話は誰かが書くでしょうから、 私がなぜこの講演会を聴きに行ったのかを書いておきましょう。 そして講演会を聴講して思ったことと懇親会について書いておきます。

私の前職は e-learning の研究と開発でした。 私自身は専門にしていませんでしたが、 集合知の分野を研究していた人もいましたし、 こちらによれば、 その部署は現在ではブログの履歴から個人の嗜好を抽出することも 研究のターゲットにしているようです。 というわけで元々こういう分野に興味はありました。

また私自身、Wikipedia の記事をいろいろと編集しています。 私自身が作った記事もあります。移転前のページには誰かが Wikipediaから 勝手にリンクを貼っていたりします。 もっとも、今はそこはリンク切れの状態になっていて辿ることはできませんが。 直す義理もないので放ってあります。

あと、私の知り合いが Wikipedia に関わっているのも大きかったです。 一度お話を伺っておくのが筋だと思いました。

とまあ3つの理由で行ってみることにしました。 この講演会は当初100名の予定だったが参加希望者が殺到し、 ここにあるとおり、 最終的には参加者150人、補欠者45人、キャンセル27人となりました。 少なくとも申し込んだ人は。 ところが実際に参加したのはその半分か6割くらいでした。 なので空席がところどころ目立つ結果となりました。 所用が入るのは仕方がないけれど、atndはキャンセル処理ができるのですから、 キャンセルするのが礼儀ではないでしょうか。 懇親会である方が「同じ会社の人も行きたいと言っていたんですけど、 参加枠にあふれて参加できなかったんですよ。」と仰っていました。 そういう事情で参加できなかった方はさぞかし無念だったでしょう。 それに、参加者全員のイスを用意するのも大変なのです。 今回の会場は二部屋の壁を取っ払って一部屋にしていました。 50人の追加はもう一部屋使えることができたので可能になったのでしょう。

さらに懇親会についても出席者が集まらず、小規模な形になってしまったのも、 主催者には無念だったと思います。 出欠状況についてはこちらを見ていただくとよくわかると思います。

とまあ、出欠に関しては残念なことがありましたが、 それでも75人以上集まったので講演会自体は盛況でした。 会場を提供して下さった IIJ のご厚意で無線LANも用意されていました。 コンセントも用意されていました。非常に快適な環境でした。 ただ技術者だけが集まったわけではなかったようで、 MediaWiki についての発表なのに、Wikipedia について質問したり、 Wikipedia に対する不満をぶつけるのが目的だった人もいました。 Wikipedia を運用するシステムの話をしているのに、 Wikipedia の運営組織の不満を言われても技術者は困るだけでしょう。 そういう技術の範疇を超えた問題には木津さんなどが対応されていましたが、 これまた運営側にとっては想定外のことだったと思います。 良くも悪くも Wikipedia が一般に浸透したということでしょう。

講演が終わると半数以上が帰ってしまいましたが、議論終了後、 皆で撤収作業を行ない、場所を移動して懇親会へ突入しました。 懇親会では運よく講演者の中山先生と Ryan のそばに座ることができました。 というより、私の座っている場所にお二人が来たのです。 Ryan は私よりも14歳くらい若い。私もあの頃は脂が載っていました。 刺身も平気で食べており、日本語は少しわかると仰っていました。 白魚のフライもおいしそうに食べていました。 しかし、踊り食いを私はうまく伝えることができませんでした。 中山先生は脳科学がご専門のようでした。 私も大学時代の恩師が HCI を専門にしていた関係で 少しだけ認知科学をかじったので、 これまた懐かしい分野のお話を伺うことができました。 中山先生と独協大学の学生さんが Ryan との通訳の形になっているのもありがたかったです。 もっとも、通訳なしでもある程度私は理解できましたが。

他にも色々な方とお話をしました。左隣の方は韓国人でソウル出身でした。 彼は日本語がうまかったです。5年くらいいるそうです。 私の職場には釜山から来ている人がいて、 その人が「ソウルの人とは仲良くできない」と いうようなことを言ったことがあったので、 それはなぜかと訊いてみました。 すると彼は面白いことを仰っていました。 曰く「ソウルの人は釜山の人のことを何とも思っていない。 釜山の人が意識し過ぎているだけだ。 関東の人もそうでしょう。関西のことなど意識してないでしょ。 関西の人は関東を意識しているけど。」 私は妙に納得してしまいました。 釜山の人の意見を聞いてみる必要はあるかもしれないけど、 一理あるかもしれません。 それから、運営スタッフを務めた岩井さんも交えて三人で、 なぜか政治の話をしました。三人で一致した意見は、 最近の日本人と韓国人は歴史を知らない。たしかにそうだと思います。

あっという間に時間は過ぎ、懇親会の会場を出て水道橋の駅についたのは 22時過ぎだったと思います。水道橋からはこれまた偶然に Twitter で tsuda っていた方と途中まで一緒に帰りました。 私が半分冗談で tweet した Wikipedia に ITIL を導入したらどうか、 という話をしました。

最後に面白い講演会を企画して運営されたスタッフの方、お疲れさまでした。 参加してよかったです。知り合いへの義理も果たしたし、 私はしばらく休もうと思います。 休みの期間が一週間なのか一ヶ月なのか二億年(川岸咨鴻談)なのか三億五千年(ウルトラマンより)なのかはわかりませんが、 休み明けの時はよろしくお願いいたします。 いつかまた戻って参ります。

(2010年11月14日追記)
今日、別の知り合いから、「ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズからのお願い」に関する情報を得ました。 Wikimedia の開発に寄付という形で協力できることを知り、 早速少しだけ寄付いたしました。 URLはこちらです。

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東平 洋史 E-Mail:hirofumitouhei アット gmail ドット com

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