2009年11月16日

マラソンランナーではない高橋尚子さんとの思い出

高橋尚子さんと言えば最近引退したマラソンランナーを思い出す人が多いだろうが、 私は別の人を思い出す。前に働いていた会社にそういう名前の女性がいた。 彼女は私と同期で入社してしばらくしてから知り合った。 入社直後の研修で一緒だった女性 S さんと同じ大学を出ていた人で、 Sさんを介して知り合った。私もSさんも高橋さんも神奈川県の支店で研修を受けたので、 集合研修の際はよく一緒になった。 私は横浜市の保土ヶ谷区にある支店で研修を受けたが、 彼女は戸塚支店で研修を受けていた。 ちなみに S さんは当時鎌倉在住だったが隣の藤沢支店で研修を受け、 私は藤沢市の鵠沼にある寮に住んでいた。 研修を終えた後、高橋さんも私も情報通信研究所に配属されたが、 高橋さんは横須賀研究開発センターに配属され、分散OSの研究に従事し、 私は武蔵野研究開発センターに配属され、CAIの研究に従事し、 そこで縁は途切れた…かに見えた。 まあ、そんなに仲よくしていたわけではなかったが。

ところが、その頃、情報研は慶応大学と共同実験を行なっており、 私の部署も彼女の部署もその実験に関わっており、 その縁で彼女は私の部署のプロジェクトリーダーに引っ張られ、 私の部署へ移ってきた。それから仲良くなった。 神奈川県で研修を受けていた時はスーツを着ていたので気付かなかったが、 普段着の彼女の胸は大きかった。この時、私は彼女のグラマラスな魅力に気がついた。 胸の大きい人は頭が悪いという俗説があるが、それが嘘だということがよくわかった。 研究に従事するだけあって頭もよく、小柄でかわいいし、グラマーだし。 性格もいい人で、 みんなから「なおこさん」とか「なおちゃん」と呼ばれて可愛がられていた。 ちなみにうちのグループは結構女性が多くて、正社員の人だけでも20人中5人もいた。 うち2名は先輩社員で残りの3名は私より年下だった。 なおちゃんは同学年だが早生まれなので、私よりも3ヶ月くらい年下である。 一時は派遣社員の人3名に研修で来た女性(なぜか姉御と呼ばれていた)もいたので、 女性が8人もいた。女性ばかりで本当に華やかな職場だった。 私はなおちゃんを好きになってしまったことを隠していたが、 姉御に見抜かれてしまった。 隠したつもりでもやっぱり態度に出てしまうようだ。 ちなみになおちゃんが来てからしばらくしてマラソンの高橋尚子選手が台頭してきた。 高橋尚子選手の初優勝を報じる日刊スポーツを私はなおちゃんの席に貼ってあげたら、 なおちゃんは苦笑いしながらも許してくれた。洒落のわかる人である。

それからなおちゃんは半熟のオムレツを好きではなかった。 それを知った私はグループの飲み会などでわざと彼女の目の前で 「おいしいなあ」と言いながらオムレツを食べていた。 我ながら意地悪な男だ(笑) まあ、好きな人に意地悪したくなることがあるではないか。 しかしそのうち彼女は半熟のオムレツを食べられるようになったため、 その意地悪は意味がなくなってしまった。それはちょっと残念だった。

なおちゃんは結婚して高橋尚子ではなくなってしまったが、 結婚後も高橋尚子という名で頑張っている。 もっともマラソンランナーの方が有名になってしまったので、 検索しても彼女の情報には滅多にたどり着かない。 旦那さんは確か、大学で同じ研究室にいた人だった。 今はお子さんも生まれて幸せに暮らしている。 引っ越した時になおちゃんの連絡先を紛失してしまったので 今は疎遠になってしまったが、いつかまた会ってみたいものである。

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東平 洋史 アカウント名は hirofumitouhei で gmail を使用。