2009年11月15日

オープンソースカンファレンス

約7年ぶりの更新となった。この間、いろいろなことがあった。 21世紀に入ってからは UNIX から離れてしまい、悶々とした日々を送り、 実家の都合もあったので、ついには最初に就職した電話会社を辞めてしまった。 その後、実家に戻り、地元の中小企業に入ったのだが、 昨年の秋に地元の中小企業を自由契約にされ、苦しい日々を送った。 正直言って、あの中小企業は私の肌には合わなかった。 そして今年の1月に今の会社のトライアウトを受けて合格し、3月から働いている。 お世話になった人材紹介会社の方は皆、大企業でよかったですね、 とおっしゃっていたが、実を言うと、 私はこの会社のことを親会社も含めてよく知らなかった。 入ってから、この会社の良さを知った次第である。

さて入社してからは本格的に UNIX の勉強を再開した。 無料の発表会にも何回か参加した。 その中で有益だったのがオープンソースカンファレンスである。 これは文字通りオープンソースのシステムを中心に取り上げた催しだ。 オープンソースの定義はこちら(原文)を見ていただきたい。 実際はコンピュータについていろいろなシステムが取り上げられている。 その中で私が面白いと思ったものを取り上げる。

この次は福岡へ行こうと思っている。 技術的なことよりも法律の話に興味がある。 福岡には西武ライオンズのファン仲間もいるので、 その人に連絡をとってみようかとも思っている。

板生知子さん達との思い出

板生知子さんは今ウェラブルコンピュータの世界では有名な方だが、 私は彼女と面識がある。彼女は私の大学の後輩であり、前は同じ会社の後輩だった。 実は板生さんのいた研究室には私のサークルでの先輩が所属していたし、 今は疎遠になってしまったが、私と同期の友人Tが彼女の職場の先輩で、 私は彼の紹介で彼女と知り合った。 さらに彼女の同期の友人(女性)Iさんは、これまた当時の私の職場の後輩である。 また会社に入った時期は違うが、会社の後輩S君も板生さんとは知り合いである。 というわけで結構強い結びつきがあると思う。 もっとも、21世紀に入ってから疎遠になってしまったので、 彼女が私のことを覚えているかどうかは定かではない。

彼女はけっこうノリのいい人だった。8耐レースに参加した時の衣装は奇抜で、 私もあれを見た時は驚いたし、 ネット上で「博士らしくない」と言った人がいたが、 あれが彼女のノリのいい性格をよく表していると思う。 美人だし、頭もいいし、ノリもいいので S君もぞっこんであった。 私や T に出していたメールで勝手に「ともこ」と呼び捨てにしていた。 そしてある時、生意気(?)にも「ともこ、それじゃダメだよ」と書いていたので、 私は彼をからかってみることにした。 まず差出人を板生知子(当時は確か MH-e を使っていたので From: を書き替えただけ)にし、 本文の最初の方で「何をおっしゃるの、Sさん。」と彼女になりきった文章を書いた上で、 後半で「なーんていうのは嘘で、このメールは東平が書いたものです。」と正体を明かしたのだ。 ちなみに Cc: には T も入れておいた。 これに対してS君は返事をよこしてきた。 前半部分には板生さんに対して対応しているような文章を書いていた。 もちろん、彼も馬鹿ではないのであのメールを書いたのは私だということはわかっている。 後半部分では私が書いたというのを知ってがっかりしたというようなことを書いていた。 まあ、普通はここで終わるのだろうが、Cc: に板生さんと同じ職場のTが入っているのがポイントで、 ここからの展開がまた面白かった。 今度は板生さん本人が「何をおっしゃるの、Sさん。」というメールを出してきたのである! 文面は私が書いた前半部分と全く同じ。Tから私の偽メール事件を聞いた彼女は、 Tの入れ知恵もあってか、敢えてそのようなメールを出してきたのである。 このメールを読んだS君は混乱し、いったいどうなっているのか、と怪訝な様子であった。 この悪戯は実に面白かった。

今はS君も私もあの会社を辞めてしまい、 S君、Tや板生さんとは疎遠になってしまった。 この他にもいろいろなことがあった。懐かしい思い出である。 S君もTも東大出身だが、ネプリーグに出てくる高学歴タレントのようなタカビーさはなく、 むしろ学歴を鼻にかけるような奴を馬鹿にしていた。 Tは fj.* でも活躍していた。S君は東大大学院の前は慶応にいたのだが、 慶応ボーイの雰囲気は微塵もない。私は T から教えてもらうまではわからなかった。 本当に頭のいい人は自分の才能をひけらかすことはしないのだと思う。 私があった頭のいい人は謙虚な人が多かった。 一方、「俺は俺は」とかいう人は実際は無能な人が多いと思う。

ところで、16年くらい前にある人と絶縁してしまったのだが、 その時の私は「俺は俺は」と言う人だと思われていたのかもしれない。 自分をアピールするためにそうしてしまったのだが、 本当にバカなことをしたと思う。 もっとも、今更取り消すこともできないし、 今思えばその人は板生さんほど優秀な人でもなく、 生意気なところが多かった(当時の同僚は陰でそう言っていた)。 だから、どっちもどっちなのだろう。

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東平 洋史 アカウント名は hirofumitouhei で gmail を使用。